【経験者は語る】人間関係に疲れた時は、人との繋がりを整理してみよう!
「人との繋がりを整理してみよう!」と言っても、
人との関係を蔑ろにしている訳でも、感謝の気持ちを忘れていいわけでもありません。
ただ、「自分が疲弊するような関りを極力減らそう」という訳です。
「過剰な人付き合いを辞めた」私が、なぜ人間関係に疲れたのか、現在どうなのか・・・経験を語ります!
経験談なので、当てはまらない方もいるかもしれませんが、何かの参考になればと思います。
人との御縁に恵まれなかったら、人生終わりだと思っていた
そもそも私は長い間「人との関わりを多く持ちすぎていた」と、最近では思います。
それが、野心からくるもので、自分自身が望んでいたのであれば良いのですが、
いつの間には「そうしなきゃいけない」と思い込んでいたのが、しんどさに繋がりました。
その要因のひとつとして、小さな頃から母に、
「人との出会いは大事」
「全ては人との御縁だよ」
「顔が広いっていいことよ」
と、事あるごとに言われて育ったことが挙げられます。
母は他にもいろんなことを教えてくれたと思いますが、
このようなニュアンスの言葉は、何度も繰り返し言われた記憶があり、強く印象に残っています。
全く人と関わらないで生きていくことはできないですし、大なり小なり人との出会いやご縁に助けられることもあると思います。
ですから、母が教えてくれたことは間違いではありません。
しかし、私はおそらく真に受けすぎたのでしょう。
いつの間にか、「人との縁に恵まれなかったら終わりなんだ!」と思うようになっていました。
なので、新しい出会いがあれば、社会に出る前から営業マン並みの全力投球。
あれもご縁、これもご縁と、ひとつひとつを真面目に大切にしていました。
私以外にもきっといる「こじらせ日本人気質」の人
しかし段々とそれが行き過ぎてしまします。
「ザ・日本人」な私。
空気を読むことが得意だったため、人の様子や表情から「何がこの人を怒らせ、何が喜ばせるのか」がよくわかってしまうタイプでした。
それに加え、人との関わりに敏感になっていたせいで、「機嫌を損ねないように、嫌われないように」行動するようになってしまったのです。
特に会社では、地雷を踏まないように、かつ、正解を一発で当てて見せ、なんならもう一歩先までやり終える、というのが習慣に。
するともちろん、信用は得られ評価は上がります。
しかし今度は、その上がった評価を落とされるのが恐くて、失敗することに敏感になります。
結果、人と接している時はいつも全力で、そして従順に、常に緊張感をもっていました。
ヤクザによくある「目上の人がたばこ出したら、何も言わずに火をつけ、灰皿を出す」ぐらいの気持ちで(笑)
そこまで徹底的にできるなら、何か適任な職業がある気もしますが(笑)
こじらせすぎて、「人との御縁に恵まれなかったら終わりだ」という志向が更なる進化を遂げ、
「人に嫌われたら終わり」
と思うようになります(笑)
極端すぎて、自分で書いてて笑えます(笑)
当たり前ですが、四六時中ずっとその状態なのは、とても疲れます。
関わる人ひとりひとりに合わせて接しているので、「機嫌の悪いAさん」と「機嫌の良いBさん」が一緒になった時、どちらの機嫌も損ねない大正解を導き出す必要があるからです。
前の職場はまさに連日そんな状態で仕事をしていたため、ストレスフルで疲労困憊。
仕事云々よりも「もう、誰とも関わりたくない」と思い、自分の思考も含め、一旦リセットすることを決めたわけです。
会社を辞めてわかったこと
でも、会社を辞めてわかったことがありました。
かつて営業マンとして社会に出て、フルタイムどころか残業マシマシ、家には寝に帰る・・・ような生活をしていた私としては、社会とのつながりは会社が全てのようなもの。
なので、会社を辞めたら誰とも関わらなくなる!と思いこんでおり、旦那以外と会話することもないんだろうなぁ、なんて思っていました。
しかし、実際そうではありませんでした。
以前一緒に働いていた先輩が「是非ウチの会社へ」と声をかけてくれたり、定期的にごはんに誘ってくれる友人もいます。
なんなら、遠く離れた地元の友人たちは、喜んで文通をしてくれます。
ゆるく、お互いが心地いい距離感で繋がっており、逆に完全に関りがなくなるということもありません。
とても良い関係を築けていると思います。
要は、人生の大半、自分で自分を苦しめていたんだな、ということがとてもよくわかりました。
「人は一人では生きられない」、「支え合わなければならない」、という言葉は嘘ではありませんが、
自分を犠牲にして人付き合いをしなくても、生きていけるもんだなぁ、と30過ぎて今更ですが実感しています。
人間関係に疲れている方・人付き合いに息苦しさを感じている方は、少し自分に絡まる人とのつながりという糸を整理してみるのもいいかもしれません。
あまりに多くの糸は、自分自身に絡まって、不自由にしてしまいますから。
なんでも「ほどほど」ができるといいですね。