人から相談された時・する時、「これだけは忘れちゃいけない」と思うこと
コチラの記事☟にて、友人の職場環境やそれに関する相談があったことを書きました。
直接会えてはいませんが、連絡は取り合っていて、ちょっとずつ話をしています。
そんなやり取りの中、改めて「これだけは忘れちゃいけない。気をつけよう。」と思い直したことがありまして。
今日は、そんなお話。
相談される側と相談する側、双方に侵してはいけない領域がある
人に頼られるというのは、嬉しいことです。
相談内容が深刻であればあるほど、自分がその人にとって「それほどの話ができる相手として信頼してくれてありがとう」と、光栄に思います。
そして、相談できる相手がそばにいる、ということもありがたいことです。
しかし、どんなに頼れる相手でも、双方には侵してはいけない領域があるように感じたのです。
その領域を荒らすと、お互いの関係性が崩れてしまうかもしれません。
相談された側は、「自分の考え」を主張し過ぎない
重大な内容を相談されたとき、一緒になって悩んだり考えたりし、その上で意見を求められた場合、もちろん答えると思います。
その時、内容が深刻であればあるほど、自分の答えに対する責任の重さを感じますが、あまり長々と熱弁するのはよくない、と思うのです。
答える時は、聞かれたことに対し、端的に。
それよりも力を入れるべきは、「あくまでも私が感じたこと」「今時点ではこういう状況」という、それが絶対に正解であなたの幸せを未来永劫保障するものではない、という点かもしれません。
大変な状況の時、本人は周りが見えなくなっています。
そんな中、藁にもすがる思いで頼ってくれたのであれば、何とかして助けたいと思うのは当然でしょう。
しかし、その時に「自分の考え」を熱弁してしまうと、冷静さを失っている相手に洗脳に近いことをしてしまう可能性がある気がします。
今回相談してくれた友人から色々と質問を受けましたが、しつこいくらいにー
「あくまでも自分の感じたことであって、あなたから見たら違う世界に見えるかもしれない」
「私の理想の職場環境と、あなたの理想は、そもそも違うかもしれないから、本当に自分が幸せになれる選択をしてほしい」
ーと伝えました。
そんなことわかってるわ!って本人は思っていたかもしれませんが(笑)。
切羽詰まっている状況だからこそ、冷静になって判断してほしい。
選択の良し悪しはおそらく、しばらくたって落ち着いた頃に判断されるでしょう。
「これでよかった」と思うか、「やっぱり他の選択をすればよかった」と思うか。
どちらにせよ、苦しくても本人が考え・判断する、というプロセスが不可欠だと思います。
今後も利害関係のない対等な友達でいたるためには、
「聞かれたことには全力で、誠実に答える。だけど、判断するのは本人(相談者)。」
という前提を忘れてはいけない気がします。
※具体的な質問内容ややり取りは伏せております。イメージしにくい部分もあるかもしれませんが、ふんわりと受け止めてください。
相談する側は、「最後に決めるのは自分」ってことを忘れない
逆に相談する側。
こちらはもう、辛すぎて一刻も早く環境を変えたいと思っているはずです。
環境を変えたいというより、吟味することもしんどくて、悩みごと全部無くなっちまえ!と思ってるかもしれません。
私はそうでした。
日々のストレスでクタクタになって帰ってきて、睡眠も浅く頭が回らない中、いろいろな条件を考慮し転職について考えるのは、かなりの重労働です。
正直、「なんでもいいから、いっそ誰か決めてくれ!」と思っていました・・・(笑)
でもやはり、最後の決めるのは自分です。
もしかして選択を間違えるかもしれない。それでも、その結果を人のせいにする理由を作ってはいけません。
自分の人生に責任を負えるのも、幸せにできるのも自分だけですもんね。
そばにいてくれる人に、甘えるところは思いっきり甘えて、いっぱい話聞いてもらって、泣いて、食べて、呑んで、支えてもらって構いませんから、どうにか最後は自分で決める、それだけは譲らないでほしいと思います。
※この記事書いてて、歌手のなかむらえみさんの歌が頭に流れました。
私を幸せにできるのは、世にも恐ろしいことに、ややこしい私です。
(なかむらえみ「ばけもの」より歌詞引用)
この曲、女性について歌っていますがMVには男性も出ていて、おそらく共感できるの女性だけではないと思います。
是非聞いてみて下さい。
最後に
この関係は、友人だけでなく、親や夫婦の近しい関係でも当てはまると思います。
この領域の侵食具合によって、「支配」と「依存」が生まれ、一時的には救われても、後の人生に悪影響を及ぼすことが考えられる。
例えば、親子という関係性はとても分かりやすい例だと思います。
悩んでいるのが我が子で、親が何でも答えを出してしまうと、その子は「自分にとっての幸せは何か」を判断する力が育たなくなってしまい、自分では何も決められない人になってしまう・・・
しかし、ケースバイケースで、緊急的に無理やりにでも救い出さなければならないこともあるでしょうから、なかなか判断が難しい。
その判断を間違わないためも、しっかり話を聞いて、寄り添うことが大事なのかもしれません。
「お互いに領域があり、最後には自分で決める」
当たり前ことですが、渦中にいるとついつい必死になって見えなくなってしまうことも。相手と私は違う人間だということを、常に意識していたいと思います。